モデルを用いたトラクションコントロールの基礎研究
― 第1報:モデルの構築と教育への適用 ―

Basic Study on Traction Control using Model
―Part1:model development and its application to education programs―
 空白 
執筆者
手塚 繁樹
Shigeki Tezuka
 1.はじめに
 As for the Erectric Motor compared with a Gasoline Engine the high-speed and highly precise torque control is possible.Therefore an Electric Vehicle may realize high-level performance of the Trantion Control system easily.So we developed a simulation model and 1/10 vehicle model in order to inspect Traction Control algorithm in this study.And we evaluation dynamic characteristecs by using the model. From the evaluation result we got fundamental knowledge about Traction Control by an Electric Vehicle.In addition,we applied this model in a teaching material of the subject,“electronic control theory of vehicle dynamics”and achieved the understanding improvement,although it has been very difficult to learn.

Key Words : Electric Vehicle , vehicle dynamics , control/Traction Control , simulation model

 近年、雪道や濡れた路面など、滑りやすい路面での自動車のスリップを防止する制御として、ABS(Anti Skid Brake System)や、TCS(Traction Control System)が提案されて実用化されている。 しかし駆動時のスリップを防止するTCSは、エンジン制御の難しさやコスト高のため、一部の高級車に採用されているに留まっている。新潟では、冬季の路面は滑りやすくABSと同様にTCSも普及することが望まれている。
 一方、地球環境問題やエネルギー資源等の問題の高まりから電気自動車が大きな注目を集めている。電気自動車は、ガソリン車に比べて高速・高密度のトルク制御が可能である。そのため、ほとんどコストをかけずに高性能なTCSがソフトウェアだけで実現する可能性がある[1]
 そこで本研究では、まずTCSの制御アルゴリズムの検証を行うため、シミュレーションモデルと1/10車両モデルの開発を行い動特性の評価を行った。その結果から、電気自動車による駆動力制御に関する基礎的な見地を得た。
 また、本モデルを専攻科の授業に適用し、これまで難しいとされてきた車両運動を伴う電子制御の理解向上を試み、良い評価を得た。
 2.駆動時の車両運動
2.1 スリップ率と摩擦係数
 路面とタイヤの間に発生する摩擦力には、タイヤの前後方向に発生する前後力と、車両の進行方向に対して直角に作用する横力(サイドフォース)がある。この時、駆動時のスリップ率λを(2.1) 式で定義すると、スリップ率λに対するタイヤの代表的な特性は図1のように制動時とほぼ同様な傾向を示す。但し、前後力をタイヤにおける垂直荷重力で規格化した値を駆動力係数(摩擦係数)μdと呼ぶ。以下、駆動力係数曲線を「μd-λ特性」と呼ぶことにする。


 図1に示すように、スリップ率が大きくなると駆動力係数μd、横力Fyが共に減少する。特に横力Fyの減少は駆動輪の横滑り摩擦力を失わせ、走行安定性に悪影響を及ぼし車体は不安定になる。TCSは、このように走行不安定となることを防ぎつつ駆動力を確保して加速性能を向上させるために、スリップ率を適正な範囲に制限する制御システムである。


 一方、代表的なラジアルタイヤのμd-λ特性は図2に示すように、一定ではなく路面とタイヤとの間の状態により大きく異なり、それに伴いTCSの制御も難しくなる[2]



2.2 車両モデルと運動方程式
 図3は、タイヤ1輪を取り出した車両モデルである。mは車両質量、Vbは車体速度、Fdはタイヤから路面に伝わる力である。


 この時、走行抵抗をF、エンジントルクをTe、駆動輪回転部分の慣性モーメントをId、駆動輪の出力トルクをTm、変速機のギヤ比をgf、動力伝達系トータルギヤ比をGm、駆動輪角速度をωw、駆動輪半径をRwとする。また、解析を簡略化するために、回転部は剛体であるとし、加減速による垂直荷重は変化しないものとし、従動輪抵抗及び空気抵抗は、考慮しないものとすると、車両運動方程式と駆動輪の運動方程式は次のようになる[3]。


 (2.3)式の次元を(2.2)式に揃えるため、Idを接地点等価質量Mw、ωwを接地点等価速度Vw、Tmを接地点等価駆動力Fmに換算すると次のように定義される。


 このようにすると、駆動輪の運動方程式(2.3)は、次式のようになる。


 また、この時の車両重量(力)をW、駆動輪の垂直荷重(力)をWr、重心の高さをh、ホイールベースをl、勾配をθとすると、最大駆動力Fdと走行抵抗力Frは次式のようになる。


但し Rr:転がり抵抗、Ra:空気抵抗
   Re:勾配抵抗、Rh:加速抵抗

2.3 スリップ率制御シミュレーション
μd-λ特性は、Magic Formura[4]を採用し、次式を用いて計算を行った。


 定数B、C、D、E、は、μd(λ)が図2の特性を実現するため、λ=0.2でμdが最大値をとるように設定した。即ちB=11.413、C=1.314、D=1、E=-0.225とした。
 (2.2)、(2.4)、(2.5)、(2.6)、(2.7)、(2.8)、(2.9)式から得られた車両モデルをブロック図で表すと、図4のようになる。


 ここで、制御対象を車両モデル、目標値をスリップ率、制御量をスリップ率、操作量をトルクとしてスリップ率制御システムを考える。あるスリップ率λ0における車体速度をVb0、駆動輪速度をVw0とする。その時、車両運動方程式(2.2)及び駆動輪運動方程式(2.6)を線形近似化し、トルクFmからスリップ率λまでの伝達関数G(s)を求めると次式のようになる[4]




 (2.10)式は、単なる一次遅れ系であり、その応答は安定しており簡単なPI制御機でもある程度の制御性能が出せる[4]。そこで(2.10)式の極を零相殺し安定化を図り、スリップ率の目標応答時定数を満たすゲインKp、K1を設計すると、PI制御器C(s)はじ式のようになる[4]


(2.10)、(2.13)式を用いてフィードバック制御を行うと、スリップ率制御モデルは図5のようになる[4]


図4、図5で示したモデルを、The Mach Works,InkのMATLAB/Simulinkにて車体速度Vb=0からの加速シミュレーションを行った。この時、スリップ率の目標応答時定数は、一般のDCモーターのトルク応答時定数を基に10[msec]とし、TCSの制御周期を10[msec]として」、制御目標スリップ率を5%〜70%の範囲で検討した。また、車両モデルのデータを用い、タイヤと路面状態は、中μ路相当とした。その時の代表的結果を図6に示す。




 この結果から、スリップ率は制御目標値に安定して集束しており、制御周期10[msec]のPI制御にて、スリップ率を目標値に制御することが可能であることが分かった。
 次にスリップ率の目標応答時定数を、一般的なエンジンのトルク応答時定数を基に100[msec]とし、目標スリップ率を20%とした時のシミュレーション結果を図7に示す。


 この結果から、トルク応答時定数が100[msec]のエンジンにてTCSを行うと駆動輪に大きな振動が現れることが分かった。これは。応答の遅れにより位相遅れを生じ位相余裕が小さくなり不安定になったものと考えられる[4]
 実際のエンジンでのTCSでは、この振動を防ぐため、駆動トルクの応答性を高める制御方法としてスロットル制御(サブ・スロットル制御)の他にブレーキ制御も併用されている場合が多い。このことがシステムを複雑にしてコストを高くしている原因の一つである。
 3.実験装置及び方法
3.1 システム構成
 シミュレーション結果を検証するため、図8に示す実験システムを開発した。制御対象となる車両モデルは取り扱いの容易さから、ラジコンカーに駆動輪速度・従動輪速度を検出するためのロータリーエンコーダを組み込んだものとした。
 電子コントローラ(ECU:Electronic Control Unit)は、PI制御プログラムをC言語で用意に組み込め、スリップ率等の計算結果を計測器に出力することが可能な構成とし、設計・スリップ率等のデータは、計測器からUSBを介してPCにリアルタイムで保存される。
 このシステムでは、短い距離でスリップ率制御の効果を確認するため、駆動力係数(摩擦係数)μdを下げると同時に走行抵抗を大きくし、車体速度を上げないようにして実験を行った。走行抵抗を大きくする方法として、路面に傾斜をつけて勾配抵抗を大きくした。また、安定して駆動係数(摩擦係数)μdを下げる方法としては、路面の表面の薄い水膜を張ることとした。


3.2 車両モデル構成
 車両モデルは、田宮模型製1/10シャフトドライブ4WD電動ラジコンカーをベースに製作した。
 改造方法としては、左右に分割するモノコックタイプシャシー片側の側面を切断し、シャシー底部にアクリル製ブラケットを取り付け、そこにロータリーエンコーダーを固定した。カップリングを介して加工したプロペラシャフトと接続する構造とした。また、片輪の駆動力係数(摩擦係数)μdのバランスが崩れた場合に起こる横力(サイドフォース)の低下や、それによる車両方向安定性の低下を防ぐため、前・後輪のデフギヤ内に高粘度のグリスを注入し、簡易的なLSD機能を付加した。
 図9に車両モデルの構成概要を示す。


3.3 ハードウェア構成
 CPUには、タイマー機能が豊富でPI制御をC言語で組み込み、制御周期を10[msec]で確保することができるSH2,37MTPS(Million Instruction per second)を採用した。
 駆・従動輪のロータリーエンコーダパルス信号の周期を計測し、車両速度を計算するために、エンコーダパルス信号処理回路を設けてCPUのタイマー計測機能が使えるI/Oポートへ接続した。
 DCモータのトルクを制御するために、CPUからのPWM(Pulse Width Modulation)出力をモータ駆動電流に変換するモータ駆動回路を設けた。また、CPU内部での計算結果である車輪速度やスリップ率を計測器へ電圧出力として出力するためのD/Aコンバータを設けた。
 図10にハードウェアの構成を示す。


3.4 ソフトウェア構成
 図11に車輪速度検出原理を示す。まず、従動輪側のロータリーエンコーダ信号の周期Tを計測し、タイヤ1回転の周期T0、1秒あたりのタイヤ回転回数Nを計算する。その結果、従動輪速度Vfは、次式のようになる。但し、減速比をGm、タイヤ半径をRとする。


 同様に、駆動輪のエンコーダ信号の周期を計測すると駆動輪速度Vwを求めることができる。ここで、従動輪は、路面との間でスリップが発生していないものと仮定すると、車体速度Vbは次のように定義される。


 目標スリップ率をλ*とすると、目標駆動輪速度Vw*は、(2.1)式から次式のようになる。


 PI制御による目標モータトルクをTm*とし、プログラムに組み込めるようにZ変換で表すと(2.13),(3.5)式から次式のようになる。


 そしてスロットルからの要求トルクrTmとの整合性を取り最終トルクTmを決定するセレクト・ロー機能と、トルクから電流値への変換機能及び電流値からPWM信号への変換機能を加え、これらの演算を10[msec]周期に行う。全体のソフトウェア構成を図12に示す。



3.5 実験条件
 駆動力係数(摩擦係数)μdを下げ、且つ再現性を良くするため、実験用路面には、表面が滑らかなメラミン化粧版を使用し、その表面に薄い水膜を張った。次に、適当な走行抵抗を加えるため、勾配抵抗として傾斜をつけた。また、タイヤと路面の間の状態を安定して変えるため、本実験では路面状態を一定としトレッドパターンの違う3種類のタイヤを用いた。そして、スリップ率制御の様子を確認するために、目標スリップ率を5%〜70%の範囲に設定し、車体速度Vb=0からの加速実験を行った。その時の条件を整理したものを表1に示す。


 4.実験結果及び考察
4.1 車両モデルでのスリップ率制御実験
 ラジアルタイヤを装着した時の実験で得られた代表的なデータを図13に示す。


車輪速度が低い領域では、車輪速度計測誤差がスリップ率に大きく影響するために、本実験では、起動から駆動輪速が1km/hに達する間は定トルク制御とした。そのため、スリップ率制御は、起動後駆動輪速度が1km/hを超えてからとなる。
 図13の車両モデルでの実験結果と図6のシミュレーション結果を比較してみると、ほぼ同じ傾向を示している事が分かり、PI制御方式の「スリップ率制動」は、駆動輪のスリップ率を目標値に保つことが可能である事が分かった。

4.2 車両モデルでのスリップ率制御実験
 スリップ率制動の、目標スリップ率の適正領域を確認するために実験値のμd-λ特性の調査を行った。
 駆動力係数μdは、(2.5)式から次式のようになる。


 (4.1)式を基に実験データから駆動力係数μdを求めプロットすると、図14のようになる。
 この結果から、最大駆動力を得て車両を安定領域に保つためには、目標スリップ率は、一意的に求まるものではなく、その時の駆動力係数μdmax近傍に来るようなスリップ率λを設定しなければならない事が分かる。
 また図14のμd-λ特性曲線は、図2のμd-λ特性曲線と同様な傾向を示しており、駆動力係数μdを推定出来る可能性がある事も分かる[5]
 5.電子制御教育への適用
 今回の研究における、車両モデルの製作、ECU製作、ECUソフトウェア製作及び実験データ採取は、専攻科の学生が特別研究授業の中で行ったものである。その時の日程について図15に示す。
 今回の授業を通して学生より次のような反響を得ている。
 @TSCの原理について理解する事ができた。(μd-λ特性と制御アルゴリズムの関係等)
 Aハードウェア・ソフトウェア製作技術が身に付いた。
 B当初難しいと思われた内容で、何度か挫折しかかったが最後まで実験を進める事ができ、達成感が得られた。

 6.まとめ
6.1 シミュレーション・実験結果の考察
 本研究では、電気自動車でのトラクションコントロールの制御として、PI制御方式による「スリップ率制御」の有効性確認をコンピュータシミュレーションと車両モデルによる検証実験を行い、次のことが分かった。
 @ PI制御方式による「スリップ率制動」により、駆動輪のスリップ率を目標値に保つ事が出来る。
 A 最大駆動力が得られ、車両を安定領域に保つための最適な目標スリップ率は、そのときは駆動力係数μdの特性により決めなければならない。
 B トルク応答時定数が100[msec]程度のエンジンでは、「スリップ率制動」を行うと駆動輪に振動が発生する可能性がある。
6.2 電子制御教育の考察 実験条件
 これまで車両運動を伴うECUは、Black BOXとして機能を教えることが中心に行われてきたが、なかなか学生の真の理解には繋がらなかった。今回、身近なラジコンカーを用いて実験に近い制御を自ら体験する事によって、これまでにない理解が得られることが分かった。
 また、今回行った実験の一部(例えば”目標スリップ率の最適値実験”)だけでも本科の授業の中に適用し電子制御理解の高い効果が得られるものと考えている。

6.3 今後の課題
 今後の課題としては、電気自動車のトルク応答性が速く、出力トルクが正確に把握できるといった特徴を活かして、路面状態のリアルタイム推定を実装し、最適なスリップ率制御を行うことが挙げられる。
 また、電気自動車では、モーター小型化によりインホイールモータによる4輪独立駆動が可能となるため従来の自動車制御では、難しかったスプリットμ路や旋回走行時等のトランクションコントロールへ繋げていきたい。

6.4 謝辞
 本研究の遂行にあたり「財団法人 東京自動車技術普及協会」の助成金を頂きましたことを記し、感謝の意を表します。
 参考文献
 [1] 鶴岡慶雅、豊田靖、堀洋一:電気自動車のトランクションコントロールに関する基礎研究、電気学会論文誌D、Vol1.118-D、no.1、pp.45-pp.50、1998
 [2] 日本エービーエス(株)編:じどうしゃようABSの研究、山海堂、1993
 [3] 景山克三、景山一郎共著:自動車力学、理工図書、1993
 [4] 坂井真一郎:電気自動車の新しい車両運動制御に関する研究、東京大学大学院学位論文、1999
 [5] 佐渡秀夫:駆動力オブサーバを用いた電気自動車の路面状態推定、東京大学大学院修士論文、2000